「何も教えない」が革命だった。常翔学園の「探究」20年 常翔学園中学校・高等学校 田代浩和先生(後編)

先生インタビュー

多くの学校関係者が見学に訪れる「探究先進校」が、大阪にあります。今年創立100周年を迎えた常翔学園中学校・高等学校。キャリア教育や探究学習などを軸にした、先進的な教育で注目されています。その流れを進めてきた一人が、この春校長に就任した田代浩和先生です。なぜキャリア教育に着目し、探究的な学びを取り入れてきたのでしょうか。この20年の学校と生徒、教師の変化を語っていただきました。今回はその後編です。

こう来たか!生徒の話・その1

ーー生徒の発表で、「こう来たか!」というような、チームや作品はありますか?

田代:2010年のクエストエデュケーションに取り組んだ女子生徒4人のチームが、当時協賛企業の一つだった良品計画の製品を使って病院を作る、という発表をしたんですね。
なぜ病院なのかと言うと、それぞれなりたい職業と関係していたからです。
1人は将来看護師になりたい
1人は理学療法士になりたい
1人は栄養士になりたい
1人は弁護士になりたい

どれも医療に近いから「無印の病院を作りたい」と。

ただ、そこからアイデアがなかなか深まらない時期があって。NHKの番組「プロフェッショナル  仕事の流儀」に出ていた、淀川キリスト教病院の終末期の専門看護師の話を紹介したら、生徒たちはDVDを観て、そこからどんどん発想を広げていきました。

無印病院は、クエストカップ全国大会で企業賞をとりました。発表する姿がすごく一生懸命で。発表が終わるたびに泣くんですよ、4人みんなで。僕も泣きましたし、あの子らも泣いて。いま思い出しても、ちょっと泣けてきちゃうんですけどね。

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ーーそれからもう10年以上経ちますね。

田代:看護師、理学療法士、栄養士、弁護士。全員、夢をかなえたんですよ。学校に遊びにも来てくれて。

ーー当時の話、なんて話をしていましたか? 

田代:「あの時が一番キラキラしていた。その後は勉強ばかりで大変だった(笑)」と。

否定しない。深化を待つ


ーー教科学習しか知らない世代からすると探究学習って「アイデアはおもしろいけど、どこに≪学び≫があるんだろう?」と思ってしまう方も多いと思います。改めて説明していただけますか?

田代:自分たちが考えたアイデアこそが大事なんですね。だから絶対に、否定しない。生徒から生まれたアイデアをとにかく否定せずにやるうち、生徒たち自身から「これがいい」「あれがいい」ともっと生まれてくるようになるんです。

正直、しょうもないアイデアも結構出てくるんですが(笑)、最初から深いものを目指していくというより、やっていくうちに、テーマがだんだん深まっていくんです。

先ほどの「無印病院」も、最初から深く考えていたわけではありません。でも、終末期医療のテーマに出会ってから、どんどん深まっていった。そういうところがあると思います。

ーー教える側からすると、そういう学びって、生徒がどっちに行くか分からないから不安にならないですか。生徒にこう理解してもらいたいという思いや目標から外れることへの恐怖って、たぶんあると思うんです。そういう先生へはどうアドバイスしますか?

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田代:元々正解のない問いへの自分なりの答えを探していく学びなんですね。だから、むしろ、それまでの教え方を、手放してほしいんですね。
「正解がない」と言いながら、でも教師の中には「自分の正解」があって、そこに生徒たちを導いていこうとする気持ちが働いてしまうこともよくわかります。

だけど、本当にうまくいったチームというのは、そういう教師の思惑すら超えていくんですよ。いい意味での「裏切り」です。そうやって、教師の予測をむしろ裏切ってほしいと思います。少なくとも私は、裏切られたほうが嬉しいですね。

常識的に考えられないようなアイデアが、結果的にはいいものになっていく可能性が高いと思っています。

こう来たか!生徒の話・その2


田代:OB・OGになっても、クエストの体験を大事にしている子が何人もいます。俳優を目指している子が2人います。

ーー俳優、ですか。

田代:
1人は2016年のクエストカップの全国大会に出たチームの一人で、テレビ東京のミッションに取り組みました。「アジア諸国の歴史認識の違いを何とかしたい。自分たち若い世代が、アジア共通の教科書を作るプロセスをテレビ東京の番組にしよう」という企画を提案しました。
この生徒は東京の大学を卒業して、最近ミスコンに出てました。「ウェブ投票をやってるから、私に投票してください」と言ってきて(笑)。

ーーもう一人は?

田代:2013年にテーブルマーク社の企業賞と、全国大会グランプリをとったチームのリーダーだった子です。「食べに行くのではなく、作りに行くレストラン」を提案して、そのプレゼン発表の最初の出だしが、彼女が演じる女性が、病気で亡くなるシーンから始まるんです。ステージ上で大の字になって寝て、でも彼女があまりに健康的なので、全然病気に見えないんですが(笑)。まだ「こども食堂」が広まる前でしたが、子どもたちの「孤食」の問題の解決策として提案してました。

この生徒も、たぶんクエストで人前で発表する楽しさを知ったと思うんですけども、大学を中退して東京に行って、ガソリンスタンドでアルバイトしながら俳優を目指していました。今も、時々テレビに出ています。

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田代:あと、彼女と同じチームのメンバーに、漫才で人を笑わす面白い子がいました。クエストのプレゼンをきっかけに人前でしゃべる快感を得て、NSC吉本総合芸能学院に入って首席で卒業し、デビューして頑張っていますよ。そうやって、人生が変わったという子、結構多いんですよね(笑)。

1年生の時の「クエスト」の発表で、校内でいじめられる女の子の役を演じた生徒は2年生の時は、今度はAmazonで純白のウエディングドレスを2万円で買って、松田聖子のBGMで踊りながら舞台に登場して会場を湧かせました。
この生徒はもともと男性だったんですけど、卒業後は女性に性を変えました。今はLGBTQへの理解を進めるための講演活動をしたり、ショーにも出ているみたいです。ちなみに源氏名の名づけ親は、高校の時の担任の先生です。

変わることは、いいことだと思えた


ーーいろんな生徒がいますね。まさに、先生たちの「こう行くんじゃないか」という思惑を越えてしまうような。

田代:クエストをきっかけに、生徒も人生が変わった子が多いですし、先生も人生変わったと言う人が多いですし、その結果、学校も変わったし。そういう意味では「人生を変えるプログラム」だとずっと思っています。

こうして「変わること」を何度も経験しているので、その後タブレット学習や科学探究学習、グローバルプログラムといった新しい学びの形を入れた時も、あまり反対する先生はいなくなった。変わりましたね、その辺も。

ーー「変わることは、いいこと」と、学校組織が受け入れたら強いですね。

田代:強いですね。

そういう学校が変化する、成長するという意味で、本校はいい例だと思います。

「これをやろう」という先生が2〜3人集まれば、学校は変わります。当然、最初はうまくいかないことも多いです。でも、少しずつ進歩して、少なくともいい方向には向かうと確信しています。

(前編はこちら

田代浩和:同志社大学英文学部を卒業後、大阪工業大学高等学校(当時)英語科教諭に。 2000年に進路指導部長に就き、2005年に「クエストエデュケーション」を導入。常翔学園高校のキャリアプログラム「常翔キャリアアップ・チャレンジ」を構築し、 キャリア教育を常翔学園の教育の中心にすえた。 その後も1人1台のiPadによるICT教育、科学探究授業ガリレオプラン、グローバル教育などを推進。教頭を経て2022年4月から同校校長に就任。

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「何も教えない」が革命だった。常翔学園の「探究」20年(後編)

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