生徒との信頼関係のつくりかた~教師がひとりの人間として関わること

生徒との信頼関係のつくりかた~教師がひとりの人間として関わること
探究学習入門


学校コーディネータの佐藤瞬です。

生徒が話を聞いてくれなかったり、場合によっては敵視されてしまう。本当は居心地のよい教室を作りたいのに、なかなか生徒たちとうまくコミュニケーションがとれていない…そんなふうに、生徒とどのように信頼関係を作ればいいのか、悩むことはないでしょうか。

今回は、私自身が過去に小学校教員として働いていた時に、どんなことを念頭に置きながら子どもたちとの関係づくりを実践をしていったのかということについてお話したいと思います。

私個人が生徒たちと向き合ってきた体験ですので、こうすれば必ずうまくいくという話でもありませんが、具体的な事例のひとつとして参考になれば幸いです。ぜひ、みなさん自身と比較されながら、どんなことを感じられるのかを大切に読んでいただけると嬉しいです。

私が教員として大事にしていたこと~放課後の情景

生徒との信頼関係のつくりかた~教師がひとりの人間として関わること

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6時間の授業が終わり、元気な男子たちは颯爽と帰って行き人数が少なくなった教室。そこでは、まだ終わっていない課題をやっている子もいれば、遊びの集合時間まで時間があるからと雑談している子の姿も。それぞれが思い思いに過ごしている中に、自分も溶け込んで、時折雑談に混ぜてもらったり、冗談を言い合ったりしていた時間。下校時刻がきてしまって、もう帰えるよーと伝えても、なかなか帰る様子を見せなかったり…。

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これは、私が好きだった情景の一つです。放課後という余白の時間に生まれる偶発性の高い交流の時間がとても豊かだったし、その場がもっていた雰囲気がとても居心地がよく温かかったからです。担任していた子からも、「先生の授業は普通だったし、人の良さも普通だったけど、この放課後の時間は小学校生活で一番楽しかった」という、優しいのか厳しいのかわからない手紙をもらいました。私だけではなく、子どもたちにとってもその時間は豊かなものとして受け取られていたのだなと、自分のことは棚上げして嬉しく読んだことを覚えています。

こうした、それぞれがありのままの状態、素の状態でいられる雰囲気、温かくほっこりできる居場所こそが私が教員として大事にしていたことでした。なぜなら、教員として赴任して、すぐに課題に感じたのか、目の前の子どもたちといかにして信頼関係を築いていくのかということだったからです。

先生によって異なる「生徒との関係性の築き方」

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入念に授業準備をして臨んだとしても、初めてのクラスだったり、子どもとの関係性がうまく行っていないときには、授業が成り立たないということがよくありました。また、同じ授業内容であっても、誰が教壇に立っているのかによって、子どもたちの様子が大きく異なることも目の当たりにしました。

そして、関係性の築き方には答えはないことも、すぐにわかりました。先生の個性によって関係性の作り方や醸し出す雰囲気が異なっているからです。

特に、私が尊敬していた先生は、きっちりとされていながらも、冗談をいいつつ子どもたちと共に歩むスタンスを貫いておられました。そして先生が大切にしている価値が、授業のみならず、宿題のあり方、給食準備や掃除の仕方にまで滲み出ている形でクラス経営をされていました。そこには先生の個性をもとにした一貫性があり、この場にいれば安心だと先生も子どもも感じられる雰囲気を作られていたのです。

先生も生徒もクラスをいい雰囲気で過ごすためには、先生としていわゆる「正解」を目指すのではなく、自らのあり方を自分で作っていくことが必要なのだ。そのことに気がついてから、では自分はどのように信頼関係を築くのか、そして何を大切にしていくかを日々考えるようになりました。

表現できる機会を作る「振り返りジャーナル」

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まず、私が信頼関係を築くために私が取り組んだのが、「振り返りジャーナル」という実践でした。これは、その1日に会ったことを振り返りながら書きためていくものです。それぞれの日にあった印象的な出来事をトピックに選ぶことで、その場面でそれぞれがどのように感じていていたのかを自分のこととして書いてもらいました。私は子どもたちに書いてもらったこのジャーナルを毎日読み、必ずコメントをするようにしていました。そうすることで、必ず読んでもらえる安心感を感じてもらいたかったのと、一人ひとりとの関係性を築いていくきっかけにしたいと思ったからです。

ここでは、評価の眼差しが入らないようにしていました。評価の眼差しが入ってしまうことによって、綺麗事しか書かれなくなってしまうことを避けるためです。いいことを言って欲しいのではなく、一人ひとりがどう感じて1日1日を過ごしているのかを素直に表出できる機会の方が大事だと考えていたからです。そのため、「てにをは」や漢字が間違っていたとしても、このジャーナルの中では指導をしていませんでした。時には、私の悪口が書いてある時もありました。そんな時は、私自身のあり方や言動が、その子を傷つけてしまったのだと深く反省するとともに、このように素直に書いてくれることを嬉しくも思っていました。

この実践を続けていく中で、当初は楽しかったしか書いていなかった子たちも、徐々にエピソードを詳細に書き綴ってくれるようになっていきました。どんな瞬間が嬉しかったのかを素直に書き綴ってくれているのを読むのがとても楽しく、放課後の仕事のうちで、一番わくわくするものでした。

こうして、評価の眼差しを入れずに、素直に気持ちを表出することのできる機会をもち、そこにコメントを返すことで、一人ひとりとのつながりを築くようにしていったのです。

高学年女子児童との関係性に悩んだとき

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ですが、これだけで簡単に信頼関係が築けるはずもなく、なかなかうまくいかないこともあります。

特に、高学年を担任した時には、女子児童との関係性の築き方に大いに苦戦しました。女子児童たちの間では、昨日まで友達だと思っていた関係が一夜にして変わっているのは日常茶飯事。その中で、「あの子と話しているのなら、先生と口を聞かない」という風になってしまうこともままありました。そういう時によく聞かれたのが、「先生は私の話を聞いてくれない」という声でした。あるトラブルがあった時に、児童から「先生には話したくない」と言われ、主任の女性の先生に助けを求めながら、仲裁をしたこともありました。

この経験から、私がありのままで接することの大切さを痛感しました。どうしても教師の役割だけで関わってしまうと、早くトラブルを解決しなければならないと思ってしまい、話をなかなか聞けていない自分がいたからです。教師である前に一人の「私」として関わっていく必要性を感じたのです。

そのため、その日から、役割意識を手放して、ありのまま、素の状態で、子どもたちの前に立つように意識していきました。教師としてはどうしても指導したくなったり、「〜〜しなければならない」という規範意識に引っ張られたりすることがありますが、それをいったん留保して、その子は今どんな状態なのだろうか、この子にとって学びの機会とは何だろうかと考えるようにしていきました。

このことは小さな声がけの中にも表れてきました。授業が始まる時間になってもまだ席に着いていない時などは、「席に着いてね」というのではなく、「それじゃあ始めるね」という形で、何をしたらいいのかを自分たちで考えられる余白のある言い方をしていました。また休憩時間に教室の床に寝そべってじゃれている時には、「やめなさい」と注意するのではなく、「服が汚くなっちゃうよ」という言い方をしていました。

もちろん、なんでも容認していたわけではなく、自分や友達を傷つける可能性がある時には指導はしていました。それでも、頭ごなしにいうのではなく、なぜそのような行動に至ろうとしているのかを最大限汲み取るような努力はかかさずに行っていました。そうした時に、高学年ともなると直接語ってくれることは少なくなるので、ちょっとした仕草や表情から推察することで、相手の気持ちを「聞く」ように心を傾けていました。

先ほど述べたトラブルが起きてしまった学年の年度末、子どもたちが手紙を書いてくれました。その中で、ある子が「先生は私たちに好きにさせてくれたよね。あそこで注意しなかったのが嬉しかった」と書いてくれていました。これが良かったのかどうかは定かではないのですが、その子にも居場所があり、その子らしく時間を過ごせたのだと思うと、嬉しくなりながら手紙を読みました。

まとめ:ひとりの人間として生徒たちと向き合う

生徒との信頼関係のつくりかた~教師がひとりの人間として関わること

私の実践の全てが正解だったとはまったく思っていません。ですが、子どもたちと関係を築きたいと試行錯誤し、向き合えたこと、そして子どもたちから嬉しい言葉や反応があったことは、私の人生においてとても思い出深いできごとであり、私の人生をより豊かなものにしてくれたと感じています。

どのように信頼関係を築いていくのかは、よりよい学びを生み出していくために欠かすことのできない問いであり、そこに向き合うことは大変なことでもありますが大きな意味のあることと思っています。

以前、安心・安全な場のつくり方という記事に書きましたが、学びの前提には、そのクラスにおける教師―生徒、生徒―生徒の関係性が大きく寄与してくると考えているからです。またそれが雰囲気として、その場にいる人たちに共有されて行きます。その雰囲気は、ちょっとした声かけやしぐさに表れてくるものだとも思っています。
そして、信頼関係を築く方法は、先生の個性によっても異なってきます。ただ、共通してそこで求められるのは、「私」として何を大切にするのかというあり方に関わる問いです。

そうしたことを考えると、主体的・対話的で深い学びを生み出していくためには、まずは私たちが大切にしたいことを明確にして、子どもたちの前に立つことから始まるのかもしれません。

「一人ひとりが、自分らしくいられる居場所として、温かくほっこりする雰囲気。」
それぞれがそのように感じられる学級にしていきたい。これが、私が大切にしたい価値でした。そのために、振り返りジャーナルでの関係性作りを行うと共に、役割意識を手放し、ありのままの状態で声かけを行ったり、生徒の声を「聞く」ことを意識していました。

みなさんは、教壇に立つ時、どんなことを大切にしていますか。そしてそれが滲み出た雰囲気とはどんなものですか。

ぜひ、そのことを振り返る機会としていただけると嬉しいです。

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教育と探求社 開発部 佐藤 瞬

上智大学大学院総合人間科学研究科教育学専攻博士前期課程修了。大学院在学中に、青年海外協力隊として中米・ベリーズに小学校教員として派遣。2年間の勤務後に、公立...

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